2009年07月12日
レトロタウン青梅 その1
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今日は曇っていたけど雨は大丈夫そうなのでオリンパスPEN E-P1を持ってAlfa Romeo RZでドライブに。また行き当たりばったりで出発。さて、どこに行こう?
最近関越道を走ってないので、とりあえず関越に乗る。そういえば青梅に昔の映画看板が沢山あるという記事を読んだ事を思い出す。よし今日は青梅だ。レトロタウンと評判らしい青梅に行ってみよう。
圏央道経由で青梅の駅に近付くと懐かしい映画の看板があちこちに。明智小五郎といえば天知茂である。懐かしいね。いつもテレビで江戸川乱歩シリーズは観ていたよ。でも『黄金仮面』って映画ではやってないよね?たぶんテレビのはずだけど・・・映画化されたかな??
それはともかく、なんだか分からないけど面白そうだ。E-P1の試写を兼ねて片っ端から散策してみよう。
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街を歩くと次々に看板が。『キリマンジャロの雪』お〜グレゴリー・ペック。子供の頃ずーっとキリマン”ジェロ”って間違ってた(笑)1952年公開。
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『俺たちに明日はない』フェイ・ダナウェイが素敵だった。これも何度も観てる映画だな。DVDも持ってるし。1967年公開。テクニカラーが泣かせる。
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『鞍馬天狗』といえばやっぱアラカンである。子供の頃は時代劇(チャンバラ)が大好きで飽きもせず何度も何度も観ていたなぁ。アラカンといっても知ら無い人も多いのかな。嵐 寛壽郎。60年代以降のヤクザ映画でも凄い存在感のある大スターだった。カーテンコールは・・・知らない。
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丹下左膳の看板を掲げたとんかつ屋さん。商い中と出ていたが、どう見てもやってなさそうで怖くて戸は開けられなかった。丹下左膳もやっぱアラカンのイメージがあるが、この看板は大河内 傳次郎だった。左は山田五十鈴。くぅ〜全然似てない。
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アラカンに大河内とくればやっぱ片岡千恵蔵である。そして千恵蔵といえば『遠山の金さん』である。子供の頃、千恵蔵の滑舌の悪い台詞が何言ってるんだかよくわからなかったけど、とにかくその迫力に圧倒された。
70年代の市川梅之助シリーズもよかった。橋幸夫バージョンも結構好きだった。でも杉良太郎〜高橋英樹〜松平健あたりは全く観なくなってしまった。やはり銀幕スターの演技は素晴らしかった。
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そして忘れてはならない『旗本退屈男』の早乙女主水之介こと市川右太衛門。くぅ〜っかっこいい。「天下御免の向こう傷」の決め台詞が泣かせる。市川右太衛門って知らない?北大路欣也のお父上であります。
60年代以前のチャンバラ時代劇。実はワクワクするほど大好きなのでした。(眠狂四郎のレーザーディスクを持ってたりする。がはは)
ところでこの映画看板。青梅に飾ってるように昔はすべて手書きだった。今はどんなに巨大でも印刷物だが、昔は映画館ごとに看板絵師がいて、公開前夜の深夜にプロジェクターを使って下絵を透過しながら、絵師の人があっという間に描き上げていた。
子供の頃近所に街の映画館があって、よく看板絵師が描いてるを見に行ったなぁ。ゴジラとかガメラの絵をあっという間に書き上げるのを見て、もの凄く感動したのを覚えている。
タイトルやコピーも器用にタイポグラフィーを書き上げる。これもビックリだった。自分がグラッフィクデザインを志したのも、こういった映画看板絵師の影響が大きかったのかもしれない。改めてそう思った。
しかし。看板絵師にも色々いて、上手い人ばかりとは限らない。へたっぴも当然いるわけで隣町の映画館と絵が全然違うことに驚いたりもした。
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これはちょっとダメダメくんでしょ(笑)美空ひばりは何となく分かるけど、雪村いづみと江利チエミは誰ですか?状態。
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商店街のカメラ屋さんオリジナルの赤木圭一郎パクリのポスター。絵のへたっぴ度合いで見てるこちらが赤面しそうになるちょっと痛いポスター。右後ろは葉山良二?左は笹森礼子?? しかし『俺の血が騒ぐ オリオンカメラ』というタイトルはグーである(笑)
大きな看板はプロの絵師が描いたものらしいが、各商店に貼ってある小さなポスターはかなり怪しげなのが多くて面白かった。極めつけがこれだ。
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だれが舟木一夫かまったくわからん(笑)
ふぅ〜写真が多くて記事にするのが疲れる。でも、レトロタウン青梅のリポートはまだまだつづく。
2009年02月24日
メゾン・エルメス
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銀座松屋の『第31回 世界の中古カメラ市』でローライ35を購入後、飲み屋を捜しながら銀ブラ。銀ブラってもう死語? メゾン・エルメスの巨大な灯りに驚く(夜見たのは初めて)。もう7〜8年も経ってるのにねぇ。最近夜遊びしてないって証拠。いかんね。
20ウン年前に最初に勤めた会社が銀座。だから都内のどこの街より思い出深く思い入れがある街。天下の銀座様だ。
でも歩いていて、昔通ったおばちゃんの店や、崩れそうな建物の一階にあった居酒屋なんて、もうすっかり無くなってしまって、まるで別な街のよう。イルミネーションだけは変わらないけど、人の心の灯火は消えないで欲しいな。
今度またゆっくり夜の銀座に来よう。
2009年02月20日
谷中散策 最終回
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すっかり前の記事から時間が空いてしまったが『谷中散策 完結編』をおくろう。
山岡鉄舟を知らないカップルにビックリしながら、さらに上野方面に歩いて行く。その間寺だらけ。一日中墓石ばかり見てるのもどうかと思うが、もうここまで来たら半分ヤケで。さらに片っ端から覗いていく。
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しばらく行くと谷中霊園に。案内板を見ると徳川慶喜の墓があるらしい。山岡鉄舟とくれば、15代将軍徳川慶喜も欠かしてはならない。早速参拝に行く。
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当然ながら葵の紋どころである。柵があって中まで見に行くことが出来ないが、墓石に刻まれた『徳川慶喜之墓』というのが『喜』という文字だけが抉りとられるように破損していたのが気になった。意図的に壊されたのであろうか。
さすがに墓石ばかり見ていて疲れたので、上野の山を目指す。美術館巡りでもしてみよう。噴水がある広場に来るのなんて何年振りだろう。いや何十年振り。子供の頃はよくオヤジと美術館に行ったことを思い出す。オヤジは美術なんて全く興味のない人間だったが、俺のためにと上野にはよく連れて来てくれた。今こうしてデザインの仕事で生計をたてられているのも、子供の頃の美術館巡りが大きく影響してると思う。オヤジには感謝である。
ざっと見たけど面白そうな展示がなかったので、とりあえずプラプラ美術館ウオッチング。そういえば西洋美術館のエントランスにロダンの像があったとこを思い出し観に行く。
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あれ?昔、青銅色じゃなかったっけ??? こんな真っ黒だったかな?・・・・・。考える人の前でかなり考えるが、はっきり思い出せなかった。
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疲れたのでビールでも飲もうと、上野駅に行ったらビックリ。いつのまにこんな奇麗に?!俺の知ってる上野は薄暗く小便臭く浮浪者がゴロゴロ寝てる駅だったはずだ(かなり昔だけど)。アトレなんて今どきなショッピングモールに変貌を遂げ、壁が白い!
昔あった昼間っからやってる立ち呑み屋はどこにもないではないか!
どうやら昨年の2月に改装されたらしい。上野には何度も来てるけどいつもクルマだったし、考えてみたら改札口に来るのは・・・・20年以上振り?そりゃ変わっていて当然だけど、猪熊弦一郎の壁画は子供の頃と一緒だ。懐かしいけど今の駅の雰囲気とまったくマッチングしてない所が上野らしくてよろしい。
学生時代、たくさんの疲れ果てた出稼ぎの人混みをかき分けて、青森行きの夜行列車に乗って旅行に行ったなぁ。この改札を一度出て立ち食いそばを食べながら「上野発の夜行列車」という響きに、こりゃ演歌だとひとり酔いしれながらセンチになったことを思い出す。あの頃の薄暗いドヤ街のような上野が好きだった。
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上野の変貌振りにショックを覚えながらアメ横に。でも、あまりの人混みに具合が悪くなり早々に退散。気がつけば、フィルム交換の時にベンチに座った程度で、休憩もなく5時間くらいずっと歩き回っていた。我ながらほんと歩くのが好きである。
山手線の東側ってめったに行かないのだけど、古い街並が残っていてのんびり散策するにはとても楽しかった。今度は夜の錦糸町とか行ってみようかな。
(おわり)
2009年02月03日
谷中散策 その2
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案の定、帰って来たらとたんに下痢になったよ。腐ったもん出してんじゃなかろうか・・。
では気を取り直して谷中散策その2。『彦龍』で食べたタンメンが死ぬ程まずく、店を出たとたん気持ち悪くなる。このまま谷中を後にすると最悪の印象しか残らないので、もう一度谷中ぎんざに戻り気持ちをリセットさせながらなにかないか物色する。
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スーパーの前で徳島の金時芋の試食販売が行われていた。POPを見ると『日本一うまい』と書かれている。販売のオジさんも「日本一うまいよ〜!」と威勢がいい。どうやら谷中の人は日本一を自称するのが好きなようだ。日本一という言葉に『彦龍』の悪夢が蘇り恐怖心を覚え早々に立ち去る。
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再び『よみせ通り』に戻り、上野方面に向かって散策。昭和30年代の面影残う町工場や食堂が点在してちょっとだけホンワカした気分になる。途中で駄菓子屋発見。『オコマ』ってなんだろ?と覗き込んだら独楽だった。最近の子供もコマを回せるのかな? BB弾も懐かしいなぁ。昔、会社の中でよくやったよ(?)
しばらく歩くと『さんさき坂』にぶつかる。何度かクルマで通ったことはあるけど、歩くのは初めてだ。歩き出すと、とにかく寺だらけ。きっと住民より墓石の下の人口の方が多いだろうと思うくらい寺銀座。せっかくなので片っ端から覗いて行く。スタートが鬼子母神だったせいか、なんか寺ばっか見てるような・・・・・
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全生庵の入り口で『東京都指定旧跡』の文字を見つけ読むと『山岡鉄舟』の墓があるらしい。中に入るとそれは立派な金の仏様が。都内にも色々とあるもんだね。今まで知らんかったよ。
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鉄舟の墓でお参り。近くに三遊亭円朝の墓もあったのでこちらも参拝。帰りしな三十代後半とおぼしきカップルとすれ違った。
「山岡鉄舟って誰?」と彼女が訊く。と彼氏が「う〜ん、画家だよ。そうそう絵描き」「ふ〜ん」
っておいおい、山岡鉄舟を知らないの?!
つづく。
2009年02月01日
谷中散策 その1
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強風+降水確率0%=ド晴天。予想通り今日は雲一つない晴天。二眼レフのローライもって早速出かける。コースは全く決めてなかったが、とりあえず雑司ヶ谷の『鬼子母神』と千駄木の『谷中』に行く事にする。
まず自宅から副都心線でそのまま雑司ヶ谷へ。
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ローライで撮ったフィルム(ブローニー版)は現像まで時間が掛かるので、とりあえずデジカメのLUMIIXで撮った写真でご紹介。鬼子母神は20年振り?くらいで、ずいぶんと久し振り。お参りして、2〜3枚写真を撮って、都電荒川線(チンチン電車)に向かう。
電車のようだけどカテゴリーでは路線バス扱いになるので駅とはいわず『停留場』という。鬼子母神前停留場から大塚停留場に向かう。荒川線に乗るのは30年振りくらいなのでちょっとドキドキする。料金ってどうやって払うんだっけ??? 基本はバスなので、都バスと同じような料金ボックスが運転席横にあって大人は160円だった。
ガタゴトと揺られながらすぐに大塚駅。どうせだったら王子まで乗って行けばよかったかと降りたあとに後悔したが、別な機会に荒川線の旅(?)をしてみよう。大塚から山手線で日暮里まで。
遠い昔、日暮里の東口で少しバイトをしていたことがあったので、懐かしい反面、西口にはまったく降りた事が無かったので谷中も実は今回が初体験。さて、最近隠れた人気スポット『谷中ぎんざ』とはいかなる所か。
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まず駅をでてすぐに寺があったので覗いてみる『日蓮宗本行寺』。写真だと大仏のように見えるけど、実はかなりちっこい仏様。小学校の同級生にこんな顔した奴がいたなぁ。
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しばらく歩くと最初の写真の『谷中ぎんざ』の大きなゲートが見えてくる。合わせておばちゃん密度も高くなってくる。『夕やけけだんだん』という愛嬌のある階段を下りると、そこから商店街だ。
芸能人のサインやテレビ番組の取材時の写真が所狭しと飾られてる店が多く、ミーハー濃度最高潮な商店街。今どき芸能人が来たからってどうなの?って感じだけど、おばちゃん連中にはそこがたまらないらしい。
う〜ん、と思いながら歩いていたら商店街の終わりに。あれ?あっという間。全長200mないかも(笑)。予想に全く反してどこにでもある商店街、というか普通の街よりしょぼいかも? なんでここがこんな話題になるんだろう??と不思議に思いながら、終点まで行くと『よみせ通り』という道が交差していたのでそちらに足を向ける。『谷中ぎんざ』はかなり期待はずれだったな。
狭い路地にスナックが密集していたり、昭和な店が今でも頑張っていたりと、なんか夜来てみたい雰囲気。名前もよみせだし(笑)
時計をみると午後の1時になっていた。お腹がすいた。なにかないか。お寿司屋さんが何件がありかなり迷ったけど、せっかく谷中に来たんだからもっと『変な』店を探そう。失敗してもそれが思い出になる。
しばらく路地裏を探索しているとポツンと場違いな所にラーメン屋が。名は『彦龍』怪しげな臭いがプンプンしてる。店の外見はかなり汚い。でも裏を返せばそれだけ長くやっているのだろう。もしかして隠れた名店だったりして・・・・
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店内に入ると、これまた芸能人のサインと写真が壁一面に飾られている。その数も半端じゃない。壁の地の色が見えない程びっしりと。客は誰もいない。オヤジが一人タバコを吹かしている。店の雰囲気からして今日の一番乗りのようだ。
嫌ぁ〜な予感。芸能人のサインを誇らしげに飾ってる店で美味しい店に出会った事が無い。今までの経験上、数が多い程不味さが正比例して上昇して行く。う〜ん、今まで入った店の中で一番サインが多いかも・・・・・。
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タンメンを頼んでみる。タンメンなら不味く作りようも無いだろう。しばらくして出て来たのがこれ。見た目は普通かな。白菜ではなくキャベツがメインか?
まずスープから。
・・・・・・う〜ん、なんだろうこの味?! 豚骨で濁っているのかと思ったけど、生麺をゆでた汁にそのままスープの元を加えてしまったような、気持ち悪い味。ちょっとドロッとした感じは麺から出た小麦粉か??
続いて麺。
・・・・・・・・う〜ん、生の小麦粉の味がする恐ろしく不味い麺。酷いね・・・この茹で方。
全部残して帰ろうかと思った矢先「こんどまたテレビに出るんだ」と話しかけてきた。「はぁ」気乗り無く返事を返すと「本も出しててさ、よかったら買ってよ」厨房の中から一冊の本が出て来た。全く興味が無かったが帯を読むと・・・
『東京下町・千駄木に"日本一まずいラーメン屋"彦龍を構え20年弱』
うげげ、やっぱ日本一まずいラーメン屋なの?!。帰って来てからネットで検索したら、
『彦龍』は、日本一まずいラーメン屋として、かつて「ダウンタウンのごっつええ感じ( フジ)」や「神出鬼没タケシムケン(テレ朝)」などのバラエティ番組で取り上げられ、 その名を日本中に轟かせているラーメン屋である。ビートたけしが「キムチをドブに捨てたような味」と言ったスープの味。等々・・・
うあがぁ、そんな有名な不味い店だったのか!。でもそんな店を偶然にも選んでしまったというとは、別な意味で運がよかった??
もちろん本は丁寧にお断りして店を出た。ここまで不味いと逆に有名になるんだね。商売って不思議だよ。
ネットで『彦龍』で検索すると色々な方のリポートがアップされているので、ゲテモノ好きな人は一読あれ。
そんなに不味くないと書いてる人もいるけど、今日食べたタンメンは自分の人生の中で一番不味いタンメンだった。1万円くれると言われても絶対に食べない。今でも、ちょい気持ちが悪い・・・。
つづく。
2008年10月22日
あいりん地区
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大阪散策の途中、喉が渇いたので立ち飲みの店でもないかとあいりん地区を歩いていたら、なんとも嬉しい赤提灯が目の前に。が、店のドアはベニヤで頑丈にブロックされてる。閉店したのか?と思いつつも『不況に負けず営業中』と札が下がっている。う〜む今日は定休日か?とよく見てみると・・
「営業時間 am6:00〜12:00」
なんと早起きな居酒屋なんだ!さすが日本最大のドヤ街。次回はぜひ早朝にチャレンジしてみたい。
スーパー玉出
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大阪ミナミではかなり有名らしい。とにかくその電飾の多さにてっきりパチンコ屋だと思ったらスーパーだった。たぶん日本一派手なスーパーだと思う。店内も原色のネオンだらけで食品の色もへったくれも無い状態。店頭に座り込んでいるオヤジの数も日本一だと思う。とてもサイバーなこのスーパーにそこはかとない魅力を感じる。
スーパー玉出、ぜひ東京にも進出してくれ!
2008年10月20日
奈良・東大寺 2
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虚空蔵菩薩像
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奈良・東大寺
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大阪を徘徊の後、友人のピッツェリアの開店祝いに行き、翌日は写真の京都のNさん案内で奈良観光へ。東大寺に行きシカと戯れる。
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雨の後の林にたたずむシカはまるでエルフのように神秘的で、まるで何かの使者のようでもあった。
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東大寺境内を一周し、奈良の大仏を始め観光スポットを歩いて探す。奈良も今度はゆっくり来てみたいな。
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帰りは再び伊丹空港から。東京行き最終便。さようなら大阪、さようなら奈良。また会おう!
2008年10月19日
大阪散策
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大阪に行った時のフィルムのスキャンがようやく終わった。改めて写真を見ていると、10日くらい前の事なのになんだかずいぶん昔のような気がする。
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大阪周遊パスポートを買ったので電車は乗り放題。片っ端から色々な駅で降りる。天井の明かりに特徴的なランプが多かった。古い駅が多いためかレトロモダンな興味深いデザイン。蛍光灯を縦に使ったSFチックな巨大な照明。ずっと天井を見上げてたら、なにかあるのか?というように不思議がられた。天井を見上げてる乗降客など誰もいない。
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徘徊していたら偶然オフィスビルの谷間で蘭学者の緒方洪庵の家に出くわした。残念ながら休館日で中には入れなかったが、当時はこの界隈はどんな街並だったのだろうか。近代ビルが建ち並ぶなか、この一画だけが時代をワープしているような不思議な感覚に陥る。
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一番行ってみたかった西成方面に足を運ぶ。長屋街の中にポツンとある芝居小屋。これでもかという電線の多さ。異様なほど巨大な看板を抱えた遠くに見えるマンション。昼間から酒を飲んでいる男達。
さらに奥に入っていくと半分以上はシャッターが降りてしまった商店街。ビールの自動販売機の前では酔いつぶれたオヤジがしゃがんでいる。閉まったシャッターの前でも膝を抱えた老人がしゃがみ込んでいる。
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裏寂れた商店街の骨董店に入ってみた。埃にまみれたガラクタの山。なにかひとつでも抜き出すと、山崩れのように落ちてきそうだ。視線を感じて振り返ると親子の人形がこちらを見ていた。そこだけがスポットライトを浴びているように母親の顔が浮き上がっている。久々の客を歓迎しているのだろうか、それともよそ者に警戒心を示しているのだろうか。
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すっかり日も暮れ街灯に浮かび上がる街並は、また違った面影を見せてくれる。
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アメリカ村にも行ってみる。渋谷とアメ横を合わせたようなミクスカルチャーな街。マネキン人形も毒々しい。ファッションセンスという言葉が無に帰す程インパクトのあるコーディネート。
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キタからミナミへ横断散策。たった半日ではとても周りきれなかった大阪。今度はもっとゆっくりのんびり大阪を堪能してみたいと思う。
2008年10月16日
くいだおれ太郎
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大阪の自分へのお土産はこれ『くいだおれ太郎』キーホルダー。大阪人は絶対に買わないらしい。今は閉店してなくなってしまったが、本物も見ておきたかったなぁ。せっかく買ったけどさすがにこれにAlfa Romeoのキーを付ける気分にはなれず、おもちゃ箱の呼び込み役として鎮座してもらおう。
太郎君、次郎君はどこに行ったのかね。
2008年10月08日
たこ焼き
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お昼に到着したので先ずは腹ごしらえ。大阪来たらベタだけどやっぱたこ焼きでしょ。ということでビールと一緒に。たこ焼き8個とビールで400円。えっ?400円?!東京じゃ片方でその値段。ちょいと心配になるが、味はすごく美味しかった。大阪の友達に訊いたらたこ焼きは200〜300円が普通らしい。へぇ〜安いね(というか東京が高すぎるんだろうけど)。
食べてる最中も、兄ちゃんやオヤジが1人で来てパパッと食べてササッといなくなる。食べるのも恐ろしく早い。たこ焼き熱くないのか?!
大阪胃袋ツアーはまだまだ続く・・・。
2008年10月07日
好きやねん、大阪
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行ってきました大阪へ。今回は新幹線ではなく飛行機で。先日の記事で書いた通り、新幹線代より航空券+宿泊代の方が安かったので。かなり混んでいたけど、行きも帰りも隣の席は空いていてラクチンな旅だった。なんと言っても一時間で大阪に着いちゃうというが魅力だし。
東京は雨模様だったけど、雲の上は快適な青空が。いつ見てもコバルトブルーの青空とモコモコした綿飴のような雲の対比は素敵だよね。雲の上を飛んでる瞬間って大好きだ。
大阪の天気予報は雨だったけど、なんとか持ち直してくれて曇り時々晴れという上々のコンディション。歩きに歩いて足に豆が出来ちゃったよ。ディープゾーンにも行けたし、念願のグリコの看板も見れたし(笑)
大阪リポートはちょっとずつ報告していくので、ライカで撮った写真と合わせてお楽しみに。やっぱ大阪は濃い〜ね。
2007年10月11日
ベビーローライを持って銀座へ 2
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銀座の恋の物語・・・
2007年10月10日
ベビーローライを持って銀座へ 1
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ゆるい写真が続いたのでちょいとクールなモノでも。最初に勤めた会社が銀座だった。6年間くらいいたのかな。最初の3年は1丁目。引っ越して7丁目に。銀座は端から端まで知ってるつもりだったけど、もうウン十年前の話し。最近行ってもてんで勝手がわからない。まだ並木座なんていう名画座があった時代。プランタンができたのは、ちょうど引っ越しの時だった。銀座のショーウインドウが好きだ。表参道のように外国被れしてなく、でも高級感を忘れてない。モダンだけどクラシカル。スーツとTシャツが共存できる街、それが銀座の銀座である所以だと思う。
2007年09月25日
ベビーローライを持って浅草へ 4
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浅草寺境内にある『鳩ポッポ』発祥の碑。なんで浅草が発祥?よくわからないが、滝廉太郎は浅草寺の鳩を見てメロディーを思い浮かべたのだろうか。
ところで『鳩ポッポ』の歌を唄えるだろうか。はい、唄って。
ほとんどの人が「ポッポッポ、鳩ポッポ、豆が欲しいか、そらやるぞ〜♪」って思い浮かべるけど、これは間違い。これは『鳩』というタイトルで、滝廉太郎の曲ではない。『鳩ポッポ』は「鳩ぽっぽ、鳩ぽっぽ、ポッポポッポと飛んで来い、お寺の屋根から下りて来い♪」が正解。勘違いしてなかった?当然石碑にはこちらの歌詞が彫られている。
滝廉太郎といえば『荒城の月』。スコーピオンズがメタルバージョンでライヴでやったのはカッコ良かった。享年23歳。23歳であれだけの名曲を生み出し、100年も前に亡くなったというのに未だ語り継がれる名作曲家。音楽に年齢は無いというが、天才はなぜ早死になのだろうか・・・
ベビーローライを持って浅草へ 3
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東京で一番江戸っぽい所は?と訊ねられたら浅草と答えるだろう。上野でも日本橋でも銀座でもない。やっぱ浅草だと思う。さほど浅草は詳しくないが、駅を出た時の空気感が明らかに他の街と違う。なんだろうこの空気感は・・・。
ベビーローライを持って浅草へ 2
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浅草寺参道にある大提灯。雷門が有名だが、本堂直前の仁王像を安置してあるのがここ宝蔵門。浅草なのになぜ日本橋小舟町?と気がついた貴方はエラい。理由は各自で調べてもらうことにして、この宝蔵門は東京空襲で焼けてしまい、現在あるものは1964年に再建された鉄骨・鉄筋コンクリート造り。コンクリート?と思う人も多いだろうね。戦争というものは築き上げて来た歴史までも、いとも簡単に壊してしまうと思うと感慨深かったりする。
2007年09月23日
ベビーローライを持って浅草へ
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銀座線の浅草の改札を出ると、飲み屋だの占いの部屋だのがある地下道が突如現れる。まだ昼過ぎだというのに既に飲み出しているオヤジもいる。雑多に入った商店街。天井はなんの配管なのだろう、浮き出た血管のように張り巡っている。通路にはモノが散乱し、ゴミなのかお店の備品なのかわからないカオスな世界。いったい今はいつなのだろうか、と自問してしまう。
だれも客が入っていない店では女店主が頬づえを付きながら、映りの悪い小型ブラウン管のテレビをかなりの音量で見ている。寿司屋やラーメン屋もある。一番奥まで歩いて行き振り返る。なんだろう、言葉で表せられないこの不思議な空気。
次に来た時は薄汚れたあの店で飲んでみようと思う。もちろん浅草タイムで昼間から。
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